ちかごろの出張は1泊2日にぎゅうぎゅう詰め込み型が多い。
会いたいひとに会いまくり、シンクロニシティの渦がぐるぐる螺旋になって、そしてもりもり写真撮りまくり、帰る。今朝も夜明けから仕事。48時間ってこんなに濃かったっけ。

そんなわけで岡山駅から乗るタクシーのころにはわたしはいつも、わたしのかたちをした別の何かというか、
長い外国の旅がえりの時みたいになってる。タクシー運は強いほうだけど、こういう時は祈るきもち。
どうか今日は、最高のタクシーライドになりますように。

深いツヤの黒いレクサスがタクシー乗り場にたたずんでる。個人タクシーだ。優雅な動きで運転手さんが降りていらして、美術品みたいな手つきでわたしの傷だらけのリモワをトランクに載せてくださった。自宅の場所を告げると、2パターンの道を提示してくださって、お客様のお好みのルートがもしなければ、この時間帯ですとこちらがお勧めでございます、と低いすてきな声でおっしゃる。
クルマはハイブリッドみたいでぜんぜん音がしないし、お尻の下にはムートンのなにかが敷いてあってふわっふわしている。音響もやたらいいし、どこもかしこも磨き込まれていて運転は慎重で的確。
なんせ運転手さんの声の響きがいい。


このレクサスはなんという車種なのですか?とお尋ねすると、控えめなトーンで「LS600HLでございます」ロングボディというやつらしい。
お尋ねしておきながらクルマのことはちんぷんかんぷんなわたし。でもとてもいいのはわかる。
以前京都でセンチュリーのタクシーに乗ったことがあった。ロイヤルな雰囲気の紳士なドライバーの方が、同じようなエレガントな口調でご自分のクルマについて説明してくださったことを思い出す。
そんな話をすると、「先日の天皇陛下のパレードの際に、陛下が乗っていらしたセンチュリーの前後で、大臣を乗せていたのがこちらの車種でございます」淡々と事実を述べる、という雰囲気で言う彼はでも、この、レクサス・エルエスなんとかを心から愛しているんだということが静かに伝わってくる。
それまでもレクサスだったけれど、去年のクリスマスにこちらにグレードアップしたのだそう。きっとものすごーーく、うれしかったんだろうな。でもクルマ音痴丸出しのわたしに過剰にこの話を展開しないよう、細心の注意を払っていらっしゃっているのも同時にわかる。
そして運転はどこまでも、なめらか。

個人タクシーのお仕事のやり方などお尋ねしていると、常連のお客さんが何人かいるという。
そのうちのおひとりは往復3時間を定期的に乗る方で、このレクサスの乗り心地をとても気に入ってくださっていると。常連なんていいな。わたしもこれからずっとフジワラさんがいい。あの、わたしは自宅と駅の移動が主で、たいした売り上げにもなりませんが、指名といいますか、直接予約させていただくことはできますか?
そうお尋ねすると、もちろんでございます。優雅そのものの手つきで名刺をくださった。うれしい。これで今日のタクシーの運転手さんはどうかな、という思いとは無縁になる。
うれしさがあふれまくってるわたしにも一定の距離感を崩さず接する彼の品がまた、つくづく好ましいと思う。

自分のやっていることを徹底的に愛しているひとがすき。どの分野であっても。そしてすぐ指名してしまう。結局ぜんぶひとだから。あなたがいいって言ってくださる方々に(こころからありがたいことです)わたしも、フジワラさんみたいなぶっちぎりのプロっぷりでこたえたい。そう思って彼のお名刺を冷蔵庫にはりました。予約とれますように。そしてこのきもちを忘れないように。

よい週のおわり。

instagram 掲載
えっと、今回何泊だっけ。スケジュールを再確認。二泊か。
岡山で暮らし始め、国内外いろいろな場所へ仕事に行く。
いつも気になるのは家に残る夫と息子の食事。
専業主婦だったわたしの母は365日、家族に3食ほぼ欠かさず作り続けていた。
外食はたまのお寿司くらい。毎日食卓に並ぶあたたかい食事を弟たちと
当たり前みたいにぱくぱく食べていた。
その日々がありがたかったとしみじみとわかるのは、家を出てからのこと。

 今日は煮込みにしよう。包丁の腹でにんにくをぎゅっとつぶす。
大きい鍋をコンロに乗せ、オリーブオイルとにんにくをいれ、香りが立つのを待つ。
豚肉豚肉。昨日塩漬けにしておいた豚肉を切って入れる。昨夜の自分を褒めてあげたい。
おいしそうな焼き色をじゅう、とつける。
 
息子はあっというまに8歳になった。わたしたち家族が3人で食卓を毎日囲めるのはあと、長くて10年だろう。
きっと一息で過ぎてゆく時間の重なり。わたしは気の早いカウントダウンが始まったような気持ちでいる。
こんなふうに出張の多い日々、母がやってくれたように、毎日欠かさず食事を作って待っている役はやれない。でも。
できるだけ一緒の釜の飯を食べることをあきらめられない。
わたしが不在のときはせめて、わたしが作ったものを2人で平らげ待っていて。

 豚肉に火が通り、玉ねぎを炒める。飛行機の時間が近づいてくる。
でもここで焦っちゃだめだ。火を強めたいきもちを抑えじっくり炒め、他の野菜も投入。
野菜はできるだけ多めの種類をいれる。細かい話をしたらいろいろあるけど、
これさえ食べておけば概ね大丈夫、な何かを作って出かけたい。

 ぐつぐつ湯気をあげる鍋を焦がさないようにゆっくりかき混ぜる。
いつか絵本で読んだ魔女が煮込んでいた何かを思い出す。
煮込みって思いを込めるのに最適な料理。すべてを溶かしてとろん、としてゆく。
あったかくしてよく噛んで。明後日の夜帰るから、なかよく2人で寝ててね。
彼らに言いたいことがたくさんある。それをわたしは、この鍋に詰め込んでる。
魔女っぽいけど、ま、白魔術だから安心して。

いつも、ありがとうね。これからもなかよく暮らそ。


『Hanako』掲載
『京都で発酵したおがくずに埋もれる』

念願の訪問。
河原町通沿いのその建物には、壁面に『京の酵素浴』と大きく若草色で記してある。
その色がなにか酵素的なるものを連想させる。考えすぎかな。
階段にはおがくずの巨大な塊が所狭しと置いてあり、独特な匂いが漂う。
納豆に極めて近い、まさに発酵の香り。想像以上にラフでディープな雰囲気。
 
受付を済ませオールドスクールな市民プール的更衣室で服を脱ぎ、渡された紙パンツ姿で部屋へ。
そこには”棺桶”以外の適切な表現が思い浮かばない深い箱がずらりと並ぶ。
係の方はみな肌ツヤがよく見えるのは気のせいだろうか。
 促され、おがくずの棺に横たわる。しっとりやわらかく、とてもあたたかい。
「かけますよ」と、係の方が慣れた手つきで大量のほかほかおがくずをかけてくれる。
わたしは埋もれ、なされるがまま。「顔もかけますか?」はい、と言ってみる。どうせなら。
この強烈な香り、わたしはとても好き。自分がおいしい発酵食品になっていくように思う。

 じわじわと熱い。手の先も踵も背中も熱い。
こんな熱さを火を使わずに酵素の力だけで発生させているなんて、自然の作用は神秘というほかない。
顔から汗がたらたらと流れる。拭いたいけれど、埋まった手は動かせない。じっと待つ。

 「はい、時間ですよー」との声に起き上がり、ブラシみたいなものでわさわさとおがくずを払っていただく。
自分が人というよりは糠まみれの漬物のような気持ちになる。酵素の力を残すようさっとシャワーを浴びて、服を着る。
身体中がぽかぽかしている。つやっとした顔で夜の京都の街に戻った。全身からあの、発酵フレイヴァを漂わせ。

また、あれに包まれたいなと折に触れ思い出す。次の滞在でも、ぜひに。

 『& Premium』掲載
「先輩」

京都出張でバスに乗る。停留所を間違えるといけないので、イヤホンを外し、
本を読みながらも耳はオープンにして周りの音にいつもよりも集中する。
車内は京都弁で満ちている。なんてことない話題もはんなり聞こえてうっとりする。


ふと、3つくらい前の席でなにかやりとりしているのに気づく。
わたしくらいの年齢の男性が白髪の女性に席を譲っているのだった。

男性は、清潔感のある髪型にすてきなメガネ、脚のかたちにぴったり合ったデニムを
よく磨かれた革靴でさりげなく着こなしている、趣味のよさのかたまりみたいな方。
女性はと言うと、白髪ではあるものの、おばあちゃんと呼ぶのは大変失礼であり間違いに思える、
アクセサリー使いが粋なひと。
なにを話しているのか気になり、耳をさらに開いて聞いてみる。

「わたし頭が白いからごめんなさいね、でもまだ元気だからいいのよ、あなたそのままお掛けになって」
そんなことをおっしゃっている。
(京都弁をうまく再現できないので京都の音階で読んでみてください)

その言い方にはとても品があって、彼に恥をかかせるようなものではなく、
やはりすてきな方だなぁと見つめる。

でも、わたしにも経験があるけど席を譲るオファーを断られるというのは、若干の気まずさのようなものがある。
電車だったら別の号車にさっと移ったりできるけれど、バスはなんせ、ワンルームだし。

彼は繊細な作りのメガネの奥でにっこり笑って、きれいな姿勢で静かに口を開いた。

「すみません、僕もそう思ったのですが。でも僕のほうがほーーーんの少しだけ後輩やと思うんです。なので、先輩ぜひ」

しびれるすてきさだった。

わたしは7歳の息子がいるので、こういう男性を見ると、ついその方のお母様のことを考えてしまう。
どんな環境でそのセンスが培われてきたのか。母親の育て方だけではないと思うけれど、
母国語を英語では「マザー・タン」と言うように、誰かの言葉づかいというのは母親
(もしくはいちばん近くでしっかりと日々言葉を伝えた誰か)
の影響を強く受けるのではないかと思うから。
そして言葉の編み方は、そのまま世界の切り取り方にもまっすぐ、つながる。

それはとても短い一言だったけれど、彼の人生はきっととても豊かなものであろうと
想像するに足りる、あまりに印象に残るシーンだった。
席を譲れられたわけでもないわたしまで、しあわせな気持ちになるほどの。

白髪の女性はにっこりと背筋を伸ばして席に座った。

わたしは派手にスタンディング・オベーションしたいきもちをぐっとこらえて、窓の外を見ていた。
ちょっとだけ、いや、たぶんだいぶ、にやけつつ。

『北欧、暮らしの道具店』メールマガジン掲載
ひさびさの朝一便。
いつも空いている岡山ー東京便はほぼ満席で、到着したらすぐにお仕事なのだろうなというビジネスマンの方々がたくさんいる。隣の席のおじさまもびしっと高級そうなスーツでキメている。
いちばんラクなニットをざっとかぶってきたわたしとは緊張感がまるで違う。スーツってのは鎧みたいだな、そんなことを考えていたら彼は、気づけばもこもこしたダウンを膝の上でずっと抱えていた。低血圧然としたわたしが通路側で呆然としているから紳士な彼は言い出せないのだろう。

ごめんなさい気づかなくて、そちら上にあげましょうか。
そうお尋ねすると彼は地蔵のように微動だにしなかったわたしが突然話しかけたので驚かれたようで、でもすぐに体勢を整えておっしゃった。
「ありがとうね。でも私ね、今意固地になってんねん。だからええよ、お気持ちだけで。」
意固地?意固地ってどうなさったんですか、そうお聞きすると、
「ずっとスチュワーデスさん通る度にアイコンタクト取ってんねんけど無視すんねん。いつも前の方の席座ってる時はこんなん絶対ないんやけどね。」
今日は急に取った便でいつもの「前の方の席」つまりちょっとだけ高くてエクストラ・リスペクトを得られる席、にお座りになれなかったらしい。そうだったんですね。
この、恰幅がよく身なりのきちんとした見るからに豪快そうなジェントルマンが今、 スネているだなんて誰が思うだろうか。わたしは新鮮に感動してしまった。すべての大人の中にはかわいいボーイとガールがずっといる、というのは常に思うことだけれど、彼の中にも9歳くらいの少年がいる。ねえねえこっち見て、と言っている。でもそれをわたしに素直に認める彼はおそらく、人生の満足度も概ね高く、まわりのひとびとにも慕われているハッピーなひとだろう。彼の中の9歳がちょっとスネているけど、こうやって大ごとにもならずにチャーミングに意固地になっている。

こういうシーンには時折でくわす。非の打ち所がないすてきな大人のレディがあんないじわる言われたって傷ついて、小さい女の子みたいに見えるとき。自信に満ちた大人の男性たちが知識の豊富さをせっせと争っている時。みなさん、そっと子供を内包しながらスタイリッシュな大人の皮をかぶって、立派にやっていらっしゃると思う。
 「お姉さんみたいな人に気遣ってもらって、結局なんだか得したわ。これあげてもらってええですか。」
にこにこ顔で、お姉さんというには大人なわたしを、てらいもなくそう呼ぶ彼はやはり、少年を飼いならして楽しくやってる、きっと会社でも人気者のおじさまだろう。満足そうにすやすや寝ていらっしゃる彼の横でこんなことを勝手に書いています。イタリアっぽいぴかぴかな靴が見える。
彼は子供のころはどんな靴を履いてたのかな、と思う。

instagram 掲載
移動の日々。今年の春からは岡山に拠点を完全に移し、撮影のたびに全国や海外に出かける 暮らしに。
「いつも旅をしているね」と、よく言われる。
週に1度、多いときは2度以上、東京 や別の地方へと長距離移動をしているから。
でも、わたしの行為は旅とはちょっと違うな、とずっと思っていた。
旅、という言葉の持つ、その、どこか詩的なかんじ。まわりをゆっくりと見渡し、偶発的な 出来事と出会いを楽しむような。それはわたし の、仕事と子供と向き合う豪速の日々には、足りていないものだった。
速く刺激的な毎日は性 にあっていて好きだけれど、そこに旅をすこし、 足していこう。混じり気のない、深く息をする ような旅を。
岡山を11時過ぎに出て、特急に乗り込む。
14時前には着くから、午後のコーヒーをいただこ う。派手に横揺れするスーパーいなばで窓際を 陣取り、流れる景色を眺める。音楽はこの旅の ために選んだわたし的旅スーパー・プレイリス ト。完璧。緑色がゆっくりと流れていく。
はげしい揺れはやがて眠気を誘い、気づくとわたしは、おそらく向かいの方が驚くくらいワイルドに船を漕いでいる。電車は動いていない。なにかな。
イヤホンを外しアナウンスに集 中すると、どうやら遅れている。
なんと、鳥取 駅から接続予定の次の電車の到着は1時間以上後なのだった。なんとなんと。
やりたいことが常にありすぎて、つめ込みすぎなわたしはここで、神さま(のような誰か)が 何か言わんとしているのを感じる。彼(または彼 女)は 静かにこちらを見つめ、人差し指を左右に 振っている。キュートにウインクしながら。
はっ とした。ほんとうにそうだな。予定びっしり分刻み。そんなものを今日の小さな旅に持ち込 むのは、あまりにもったいない。ほんとうに。このぽっかり空いた時間は予期せぬ贈り物のようにも思えて、持参した本を読むことにする。
やがて到着した次の電車に乗り、緑の重なりを抜ける。
いくつもの小さな町を越え、やがて 海が見える。
次は松崎、松崎。松崎ってなんだっけ。あ、降りる駅。目指すはハクセン。
駅から2分と書いてあった。地図は見ないで勘で行ってみようと思う。どうせ地図読めないし。
湖 のほとりのなにかすてきなところ。きっと、見ればわかるだろう。

小さな温泉街を通り過ぎ、写真を撮る。少し歩くと、目前に湖が広がる。シラサギが優雅に飛び立ってゆく。
海とも違う、川とも違う、湖というものの存在にしばしぽうっとする。しんと平らな水面に、雨がぱらついてきた。
湖畔に 目を引く建物がある。あんな場所、岡山にあっ たらアトリエにしたいな。なんだろ、あれ。
写真でも撮ろうかと近づいてみると、それは まさに、ハクセンなのだった。

ドアを開けると、はじけるような笑顔のカオリ さんとコジマさん、そしてにこにこのスタッフ、 コダマさんが迎えてくださる。はじめてなのに、 なんだかはじめてのような気がしない。共通の友 人も多いからか、それとも。挨拶もそこそこに、 溢れるようにたくさん話してしまう。立ったまま。この4時間のひとりの時間で、わたしの内側でぷ くぷくと生まれ、浮遊していた言葉や思いをひと つずつ全部、取り出すみたいに。
おいしいコーヒーと絶品のケーキをいただき ながら、話は続く。新しい土地に根をおろすと いうこと、場を持つということ。選択するとい うこと。それぞれのこれまでの道のりを話した りしていると、ちょっと涙ぐみそうな気にもな る。奇跡は日常の中にひっそりと存在しているな、と改めて思う。窓の外の湖には雨がパラパ ラと落ち、無数の波紋が広がる。静けさの中に 親密さがある、とてもとても、贅沢な時間。
正子さん、そういえば、時間だいじょうぶですか? そう言われてふと時計を見ると、魔法のように時間が過ぎている。次の電車は10分後。 それを逃すとずいぶん先になる。名残惜しいけど、帰ろう。
なんだか別れがたくて、何度もハグしたりし て、全速力で駅まで走る。さようなら、また必 ず。手を振るみんなは、どこかの惑星の人たちみたいに見えた。太古の昔から知ってるけど、 今回改めて、ここで再会したような。
ああ、なんてよい1日。さて、これでスムー ズにまっすぐ岡山着。となると思ったら大間違 いなのだった。それじゃつまんないでしょうよ、と前出の彼(または彼女)は再び片目をつぶる。 電車に乗り、よくよく確認すると、鳥取駅での 乗り換えは97分間とある。
きゅ、きゅうじゅう ななふん? 本日の乗り換え時間の記録更新がなされました。

こんなことでもないと、鳥取駅のまわりをの んびり散歩することもなかったな。ネオンが光る濡れた地面を高揚したきもちで歩く。コジマ夫妻に教えていただいた小さなすてきな本屋さんで本を10冊。雨だし、駅からけっこう歩いたし、ここで買わなくてもほかでも買える本だっ てあるけど。でも今日、ここで買うことが大事 な気がする。
持ってきた本は4冊。ハクセンでも2冊の本を買った。わたしは今、合計16冊の本を両手に持っている。重い。
でもなんだかこの重みは、今日の出会いと比例しているような気がして、うれしくなる。
いつも通る道を離れ、少し遠くからひとり、日々を眺めてみること。
そんな時間が持てたことは想 像以上の豊かな経験だった。ハクセンに行こう。 それだけを決めてでかけた旅。さっと電車に乗っ て、おいしいコーヒーでもいただいて、さくっと 帰ろう。そんなふうに。振り返ると、たった 10時間の小さな旅の間、わたしはわたしといつもの何倍も語り合っていたと思う。ほかの誰かと忙しいいつもなら聞き漏らしてしまいそうな、小さな声まで丁寧に拾い上げて。
そして出会ったあたらし いすてきなひとびとと場所。
忘れがたい、ほんとうによい時間だったね。
そう、わたしはわたしとうなずき合いながら帰宅した。こんな時間を定期的に持つことを約束しながら。

『OZ magazine』掲載
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